主体 のバックアップ(No.1)
コンピュータ・ゲームには、二重の主体が存在する。
一つは、プレイヤー(P)である。ほとんどの場合、人間そのものであり、交換不可能な存在である。人間の身体そのものである。殴られれば、もちろん、痛い。(場合によっては、コンピュータのプレイヤーが問題となる)
もう一つは、プレイヤーキャラクター(PC、アバター)である。多くの場合、コンピュータ・ゲームでの、これは交換可能なものとなる。それゆえ、セーブデータの受け渡しや、RMTなどの対象となりうる。これは、身体のエージェントとして機能し、殴られても、痛くない(なんとなく痛いような気分になることはある)。
プレイヤーキャラクターと、プレイヤーという主体の二重化現象によって生じていることは様々に存在するが、ここでは赤川学*1によれば主体(サブジェクト)概念の整理や、鈴木健による整理*2を参照しておきたい。
まず、赤川によれば「主体」とは二つの意味で用いられている。
一つは、「主体的に働きかける」という意味である。「積極的」という概念とパラフレーズ可能である。
一つは、フーコー的な意味での「主体化」。パノプティコンや、意味の内面化といったキーワードに関連づけられて理解されている。この主体は、意味を外側から受け付ける受動的な存在のイメージが前提となっている。(もちろん、意味を受動的に受け付ける、ということのみならず、それが単なる受動性ではないことこそが重要なのだが)
また、鈴木は、Present(存在)とRe-Present(表象)の区分を持ち出して、オンラインゲームなどの仮想世界におけるアバター(PC)の性質を説明する。
通常、人間のプレイヤーの存在と、人間のプレイヤーによる意味表象という行為は、分離して存在・理解されている。例えば、この文章の書き手である私という存在と、私の発話や文字は別のものとして理解することが可能である。人間の存在(Present)が先にあり、その存在が表象行為(Re-Present)を行うという理解が可能である。
しかし、オンラインゲームにおけるアバター(PC)は、そうではない。まず、表象(Re-Present)が先にあり、そのことによってのみ存在(Present)が確認可能となる。ここには逆転が存在している。
この逆転現象が顕在化するようなオンライン・ゲームでの事例は、Ms.Norway事件