Critique Of Games ―ビデオゲームをめぐる問いと思索―

ビデオゲームをめぐる問いと思索 http://www.critiqueofgames.net/


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 一般にはえらくいい加減な意味で使われている用語の一つだが、当サイトでは 
 ゲームの評価を論じる上でのマジックワードの一つ。

*概要 [#uafabdf9]

 「自由度」という言葉がゲームの文脈で明確に使われ始めた時期は明かでないが、おそらく80年代後半からとみてよいだろう。主にゲームの面白さをはかる指標として使われてきた。「自由度が高い」ことと「面白いゲーム」はほぼイコールである。

*自由の測定可能性 [#a1b29e34]

 ただ、「自由度」という概念が実在している、と捉えることはかなり難しい。
 たとえば、一つの作品の中でも自由の感じられ方は、その都度その都度ことなってくる。そもそも自由という概念が成立する、と考えられる場合には、ある選択肢が「存在する」こと自体よりも、その選択肢を選びとる人間が、自分が選び取る選択肢についての認識、理解をしていることのほうが重視される(→[[自由意志]]、[[選択前提]])。
 選択肢の意味をまったく理解できないような、ABCという3つの選択肢は、それぞれに何の差があるか測定できないのならば、選び取るという行為自体はまったく無意味なものである。

*妥当な言い換え [#ye0d23f4]

**「戦略性」概念との差異 [#f2b9c35f]

→[[混合戦略]]

**「自在」概念との差異 [#g81f52df]

 「自由感」「自在」といった言葉との区分する意味から
  「ゲームが実装している、可能な行為の幅広さの度合い。」 
 という意味に限定し使用する。 
 要は、そのゲームで何ができるか、ということの幅広さである。 
 ただし、自由度は面白さと直結するような単純な概念ではない。いくらそのゲームで可能な行為が多いからと言っても、何の説明もなしに複雑で難易度の高い選択肢の前に放り出されたプレイヤーはただ呆然とするしかない。関連する概念とセットにして考えることが必須。 

*参考 [#w4e6c5ce]
[[自由と自在]][[自由感]][[不自由]][[放りだされる]][[やらされている感]][[主体]]
[[自由と自在]]、[[自由感]]、[[不自由]]、[[放りだされる]]、[[やらされている感]][[主体]]
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-記事[[:井上明人]]
-カテゴリ[[:概念]]