Critique Of Games ―ビデオゲームをめぐる問いと思索―

ビデオゲームをめぐる問いと思索 http://www.critiqueofgames.net/


 メディア論的な意味での「アーキテクチャ」と、経営学的な意味での「アーキテクチャ」について、それぞれ解説する。

情報環境としての「アーキテクチャ

 濱野智史は、東浩紀、ローレンス・レッシグらの議論を参照しつつ、アーキテクチャという語を「情報環境」の言い換えとして採用している。下記、濱野の文章より引用する(http://wiredvision.jp/blog/hamano/200705/200705231549.html

 例えば、近年大きな問題となっている、飲酒転の問題について考えてみましょう。常識的に、飲酒転は、悲惨な事故を引き起こす「悪い」ことだと考えられています。教習所に入ると、たいていの場合、飲酒転で人生が真っ暗になってしまった人のドキュメンタリー風ドラマを鑑賞し、この「飲酒転=悪」という考えを再確認するものです。レッシグは、こうした規制方法を「規範(慣習)」と呼びます。さらに、飲酒転には、道路交通法という法律によって罰則が規定されています。しかもこの飲酒転を行った者は、罰金が○円、免許資格の停止/剥奪を定める点数が○点、という形で「ムチ」が設定されています。この「ムチ」を受けてしまうのは大きな生活上の痛手になってしまうと判断し、人は飲酒転という行為をしないように努めます。これが「法律」による規制です。

 しかし、それでも飲酒転をする者が絶えない。それは由々しき問題である。そう昨今では考える人が増えているように思われます。さらなる厳罰化が検討されていますが、それも果たしてどこまで有効なのかどうか。そこで現在、導入に向けて前向きに検討されているのが、「自動車にアルコールの検知機能を設置し、そもそも飲酒している場合にはエンジンがかからないようにする」という規制方法です。この手法を導入すれば、基本的に飲酒転による事故は100%防ぐことができます(現実には抜け穴がたくさん開発されるでしょうが……)。この最後の規制方法が、レッシグの論じる「アーキテクチャ」に相当します。「規範」や「法律」という規制方法が有効に働くには、規制される側が、その価値観やルールを事前に「内面化」するプロセスが必要になりますが、「アーキテクチャ」は、規制される側がどんな考えや価値観の持ち主であろうと、技術的に(物理的に)その行為の可能性を封じてしまいます。そして東氏は、こうした「内面化」のプロセスが不要であるという点を、フーコーの「規律訓練型権力」と対比させつつ、アーキテクチャを「環境」と意訳することで、「環境管理型権力」という概念を構築しています

経営学的な意味での「アーキテクチャ

 関連→モジュール化


参考