コンピュータ・ゲーム、あるいは遊びをめぐる批判の一つとして、人間の自覚的な選択、責任といった範疇の外側の領域に拡がる、「イリンクス(目眩)」をめぐるものがある。それは、カイヨワにおいても次のように懸念されている。
「なにか魅惑的なものに引きつけられることをすべて眩暈と名付けねばならないが、その最初の作用は、不意に生存本能を襲ってそれを麻痺させることである。その結果人間は自らの破滅に向かって引きずられ、自分自身の滅亡の幻影ヴィジョンそのものの働きから、恐怖によって彼を誘惑しようとする牽引力に逆らうまいという信念のようなものをいだく。この強い牽引の力は、否(ノン)と言うための力を奪ってしまうが、よく考えてみれば、この拒否の力の中にこそ、理解力のある思考の土台と自由な決断の基礎とが同時に認められるのである。[中略]眩暈はまずもって人間の自律性を破壊する」
(ロジェ・カイヨワ『本能』p.55、強調部分筆者)。
このような観点から、イリンクスを批判的を検討していくことが、ゲームの悪影響論を考えていく上での争点になっていく。
ここで何点か確認しておこう。
- 参考
最終更新: 2008-06-25 (水) 13:15:41 (4187d)